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初めて F1 をフルシーズン観たのが'91シーズン。ナイジェル・マンセルがセナの駆るマクラーレン・ホンダ MP4/6 を圧倒しつつも、最後の最後に力尽きたシーズン。
その翌年。まさに別世界のクルマが FW14B でした。「サルが運転しても勝てる」は、ドライバーには大変失礼な表現ですが、とんでもないモノを作り上げたんだなと思った記憶があります。
ただ、チームとしては上がったり下がったり。強力なエンジンを得て一躍トップランナーに躍り出たかと思うと、それを失って急失速。我慢の年を経て、また強力なパートナーを見つける、といった感じ。チャンピオンを獲得したドライバーが、移籍や引退することも多い印象です。
でも、一貫していたのはエンジニアリングチームというポリシーではないかと思います。
90年代はピットストップを含めた戦略の重要性が高まってきた時期ですが、ウイリアムズはタイヤ交換があまり早くないチームという印象でした。
そこに、オートマチックのフロントジャッキを持ち込んだのがウイリアムズだったはずです。
クルマがピットに入ってきて、まずジャッキアップをする際はバネの力で持ち上げます。
タイヤ交換が終わってジャッキダウンする際には、圧縮空気の力で叩き落します。
現代の驚異的な速さのタイヤ交換作業を見慣れていると、下ろす動作を早めるのは理にかなっていると感じますが、当時は「重力任せで落ちるのにあえて叩き落すのか」と感心した記憶があります。
そういう意味では、現代につながるタイヤ交換作業の源流が、ここにあるといっても過言ではないと思います。
'04シーズン、当時最強と呼ばれていた BMW エンジンを擁しながらも、シャーシ開発で躓いてフェラーリの独走を許したことに BMW がしびれを切らし、チーム買収を持ち掛けるも拒否。ワークスチームとなって潤沢な予算の元、メーカーの意向に沿って戦うのではなく、F1 チームであることを選んだと聞いた記憶があります。
それによって BMW エンジンを失った '06 シーズンはコンストラクターランキング8位にまで低迷。優勝どころかポイント獲得さえままならない状況になりました。
それでも、'12シーズンにパストール・マルドナドによる優勝、'14シーズンからはメルセデス PU を獲得し、表彰台を獲得することもありました。
しかし、開発費の高騰(メルセデス PU の費用も、ですかねぇ)からか、ランス・ストロールを採用した'17シーズンあたりからはペイ・ドライバー優先といった感じ。開発の遅れでプレシーズンテスト開始に間に合わないこともあるなど、'18シーズンからは最下位が定位置となっていました。
そして、今年の世界情勢もあって、ウイリアムズ家による運営にピリオドを打つこととなり、モンツァが最後のレースとなりました。
'87 アデレードのタイヤバースト、'91 鈴鹿の1コーナー、'92 モンテカルロのピット作業、'94 Rothmans カラー、'97 ヘレスのバックストレートエンド、'04 セイウチノーズ、'09 フライホイール式KERS、'16 雨のサンパウロのマッサ。
'94 イモラ・・・
他にもたくさん、「ウイリアムズ」で思い出すことはあります。フランク・ウイリアムズは、険しい顔と満面の笑顔と、なぜかいつもセットで思い浮かびます。
ウイリアムズにマッチする(気がする)ドライバーは、やはりナイジェル・マンセル。シルバーストーンの大観衆の中で、ユニオンジャックを掲げる青と黄色のマシンが印象的でした。
エイドリアン・ニューエイを知ったのもウイリアムズ。
「F1 で好きなチームはどこか?」と聞かれて、「ウイリアムズだ」と答えた記憶はありません。
これは、自分が応援するドライバーやチームと争う位置にいるのがウイリアムズだったことが多く、必然的に好きではないという位置づけになってしまっていたからです。
でも、ウイリアムズというチームは尊敬していました。
それは、おそらく今後変わっていくと思います。それが、良くも悪くもこれからの「ウイリアムズ」というチームになるんだと思います。
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